「[東大流] 流れをつかむ すごい! 日本史講義 / 山本 博文」の感想・あらすじ
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68点
感想
Q&A形式で、57個の質問に対する解説が書かれていた。
半数が戦国時代より前であり、自分が興味のある質問が少なかったのが残念。
「なぜ日本はアメリカと戦争を始めたのか?」が最も興味的な内容だった。
主な内容
桶狭間の戦いで信長はなぜ勝てたのか?
油断した今川軍が信長の奇襲によって敗れたという見方が有力だった。
しかし、二千もの兵が全く見つからずに本陣に接近できたとは考えづらく、正面から攻撃して打ち破ったという見方もある。
史料として定評のある「信長公記」では、織田軍の正面攻撃に対し、怯んだ今川軍の先鋒が後方に退いたため総崩れになったという記述がある。
桶狭間の戦いは奇襲作戦であるとしたのは、近代の陸軍参謀本部である。
馬鹿正直な正面攻撃では数に勝る今川軍に跳ね返されるのが普通であり、それでは軍略にならないので、江戸時代の読み物「甫庵信長記」の記述に従って奇襲攻撃としたのである。
参勤交代は大名の財力を削ぐための制度だったのか?
参勤交代が制度として確立したのは家光が制定した武家諸法度だが、諸大名の江戸参勤はそれまでも行われており、既に実態としてあるものを明文化したにすぎない。
参勤交代は大名財政を疲弊させるためのものとする説があるが、あくまで将軍への服属儀礼であり、大名財政の窮乏化はその結果にすぎない。
そもそも幕府は行列の削減を命じており、人数を減らさないのはそれぞれの藩の見栄であった。
乃木希典は愚将だったのか?
小説「坂の上の雲」では人命の損傷を厭わずに正面攻撃を繰り返した愚将として描かれている。
しかし、司馬遼太郎氏が依拠したのは偏りのある「機密日露戦史」であり、史実とは異なる内容も描かれている。
司馬氏が乃木の作戦を批判したのは、太平洋戦争における「悪しき精神主義」への反省からである。
旅順での壮烈な突撃から乃木は軍神と称えられ、日本軍は精神論に依存し、補給と情報を無視した作戦を繰り返すことになる。
そのため、敗戦の反動から、旅順攻囲戦は人命を軽視した愚劣な戦いとされ、乃木は愚将とされたのである。
なぜ日本はアメリカと戦争を始めたのか?
太平洋戦争はどう考えても無謀な戦いである。
しかし、加藤陽子氏は、当時の軍部や日本人の目線から、英米開戦もやむを得ない事情が重なったもので、理解できないわけではないとしている。
英米からの援蒋ルートにより日中戦争が長期化したため、日本は仏印に進駐し援蒋ルートを閉鎖しようと考えた。
日中戦争を早く終わらせるための戦略が、逆に戦争を拡大していくことになってしまったのである。
昭和15年9月に日本は北部仏印に進駐したがそれでも日中戦争は終わらないので、翌年7月には南部仏印進駐を決定する。
これに対してアメリカは在米日本資産の凍結、石油の全面禁輸を断行した。
日本は、アメリカがここまで強硬な手段に出るとは考えていなかったが、それはあまりに甘い見通しであった。
日本は戦争を継続するため、イギリスやオランダの植民地となっていた東南アジアに進出し、石油をはじめとする物資を確保する必要があることを痛感した。
しかし、それを実現するには、英米と戦争を始めなければならない。
もう何が目的なのか、わからなくなっている。
軍部は莫大な軍事費によって戦争準備をしていたため、英米と戦争になっても1年間は戦えるという自信があった。
1年間有利に戦って相手の厭戦気分を引き出し、講和に持っていくことができると考えていたのである。