「歴史をなぜ学ぶのか / 本郷 和人」の感想・あらすじ(その2)
2024/02/02
第4章:日本史の定説を疑う
- 鎌倉幕府の成立は、以前は頼朝が征夷大将軍に任命された1192年だったが、現在の教科書では頼朝が軍勢を京都に送って諸国の支配を朝廷に認めさせた1185年となっている。
このように歴史というのは研究の進展や解釈次第でその姿を変えていく。 - 東京帝大教授だった緒方正規(まさのり)は「脚気は病原菌が原因である」と唱えていたが、ドイツ留学中だった北里柴三郎は「脚気菌など存在しない、原因は病原菌ではない」と尾形を批判した。
ちなみに、尾形は衛生局で北里の上司であった。
実際に脚気の原因はビタミンB1の欠乏であり北里が正しかったのだが、北里は森鴎外ら帝大の人間たちから「恩知らず!」と批判されてしまった。 - 帰国後に受け入れてくれる研究所がなかった北里に手を差し伸べたのが福沢諭吉だった。
その後、香港で蔓延したペストの調査に派遣された北里はペスト菌を共同で発見したが、森鴎外ら帝大閥によりそれを批判する論文が発表されるなどしたため北里はノーベル賞を逃した。
第5章:想像する日本史
- 「歴史上の人物も同じ人間であり、その決断の裏にはどんな感情が渦巻いていたのかを想像することも歴史を学ぶ上で重要なのではないか」と著者は考えている。
そうした部分を担ってきたのは歴史小説である。
第6章:現代につながる日本史
- 自分の顔だけ見ていたらイケメンか不細工かはわからない。
他人と比較して自分を評価することができる。
歴史も同じである。
現代と過去の日本を比較することで現代日本の特徴がわかり、どちらの方向に向かうべきかがわかってくる。 - 江戸時代には存在感が薄かった天皇が、幕末になると政治的な力を発揮したのはなぜか。
著者は
「太平の世が続いたことで庶民が勉強するようになった」
「本居宣長のような学者が確立した国学に庶民が興味を持ち、将軍の上に天皇という存在があることを知った」
「黒船来航に対する幕府の対応を見て、天皇の存在感が相対的に増していった」
と考えている。
終章:これからの歴史学とは
- 秀吉は晩年になって淀君との間に2人の子どもができたが、医師の見解ではまずありえないことだという。
医学、法学、政治学など多分野の力を借りることで、日本史を豊かにしていく可能性がある。