「池上彰と考える 「死」とは何だろう / 池上 彰」の感想・あらすじ
2024/02/03
目次
点数
72点
感想
死というものを細胞や宗教など様々な視点から説明されていた。
第2章の細胞の話はとても勉強になった。
第1章: そもそも「死」ってなんだろう
死亡の判定は医師が行う
- 呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔反応の消失、が起きていると死亡と判定する。
- 殺人現場で刑事が目に光を当てるのは、瞳孔が反応しないということは脳の機能が失われていると考えられるから。
- 死亡推定時刻は、直腸の温度で推定する、死後10時間までは1時間毎に1℃、その後は0.5℃下がる。
植物状態と脳死
- 命は取りとめたものの脳に後遺症が残り、呼吸はしているが話すことや手足を動かすことができない状態を植物状態という。
- 植物状態は回復する望みがあり、2019年にはUAEの女性が27年ぶりに植物状態から回復した。
- よく混同される脳死は脳全体の機能が失われた状態で、回復する可能性はない。
第2章: 人はなぜ死ぬのだろう
細胞が死ぬことで生きている
- 人間の体を構成している細胞はやがて死ぬが、細胞分裂すること新しい細胞を作り出している。
- 老化とは新しい細胞を作る力が弱くなり、細胞数が減ったり古い細胞が増えていくことである。
自ら死ぬ細胞
- 細胞の死には「膨張後に破裂する死=ネクローシス」と「DNAの指令による自発的な死=アポトーシス」がある。
- アポトーシスに異常が起きて「本来死んでいく細胞が死ななくなり増えていく」のが癌である。
- 逆にアポトーシスが進みすぎて細胞が過剰に死んでいき、臓器や脳が機能不全になるのが肝炎やエイズ、アルツハイマーである。
元々死はなかった。
- 生命が誕生した38億年前から18億年間は1個の細胞だけでできている単細胞生物しかおらず、死は存在しなかった。
- 単細胞生物には1組のDNAがあり、それを複製して増えていった。
- 20億年前、海で暮らしていた単細胞生物は大陸が出現したことで栄養分が不足したため、DNAの複製をやめ単細胞生物同士で合体して2組のDNAを持つようになった。
絶滅を防ぐアポトーシス
- 多細胞生物は多数のDNAを持っているが、DNAは発がん性物質やストレスで傷つきやすく、それが子孫に引き継がれていくと種が絶滅する可能性が高くなる。
- そのため、ある程度の期間が経つと死ぬプログラムがDNAに書き込まれた、これがアポトーシスが生まれた理由である。
第3章: 宗教でこんなに違う死生観
キリスト教
- 「死は神のもとへ行くこと」であり、悲しむべきことではなく祝福されるべきこと。
- 遺族にお悔やみの言葉は不要。
イスラム教
- 「死は来世への通過点」であり、天国と地獄のどちらに行くかが現世の行いで決まる。
- 火葬はせず、必ず土葬。火で焼かれることは地獄の懲罰と同じだから。
仏教
- 故人は六道と呼ばれる別の世界で生まれ変わる(輪廻)。
- その輪から外に出て、悩みから解放され永遠に暮らすことを解脱という。
- 六道のどこに生まれ変わるかは生前の行い次第。
- たとえ悪い世界に生まれ変わってしまっても、法事やお墓参りなどの追善供養によって良い世界にも行けるとされている。
神道
- 死後の世界を黄泉という。
- 神道の神典である古事記で「イザナギは亡くなった妻のイザナミに会いに黄泉へ行ったが、目にしたのは体が腐敗しウジ虫が湧くイザナミの姿であった」となっているため、死は汚らわしいと考えられている。
- 「清めの塩」は死を穢れとして扱う神道の考え方であり、仏教では死を穢れとしていないためお寺でのお葬式では清めの塩は使わない。
- 穢れを払うことを禊という。
第4章: 死ぬときに起こること
- 死の直前に、他人には見えない人や存在を見ることをお迎え現象という。
- 医学的には幻覚として扱われることもあるが、科学的な解明はまだされていない。