「河井継之助 〜近代日本を先取りした改革者〜 / 安藤 優一郎」の感想・あらすじ
2024/02/02
点数
80点
感想
司馬遼太郎の「峠」は小説なので余談や創作部分が多いが、こちらは史実だけが書かれており、ページ数が少ない点がよかった。
著者は、小千谷談判の失敗は藩政改革で成果をあげた継之助に過信があった、事前交渉を試みていれば結果は変わった、と評している点が印象に残った。
戊辰戦争後の諸藩に対する処分
会津藩は下北半島に転封され、23万石から3万石に減封された。
7万4千石から2万4千石に減封された長岡藩は、新政府から戦争責任者を明らかにすることを命じられ、河井継之助、山本帯刀、三間市之進の名を挙げた。
山本帯刀は会津で新政府軍に捕まり斬首となっていた。
継之助と帯刀は家名断絶、市之進は無期謹慎(翌年解除され、後年は石川県知事を務めた)となった。
長岡藩のその後
明治3年10月、長岡藩は財政難を理由に自ら申し出て廃藩となった。
政府が廃藩置県を断行する9ヶ月前のことだった。
河合家と山本家のその後
継之助の父母妻は新政府軍により高田藩の牢獄に入れられ、明治2年3月に長岡へ戻った。
明治17年にようやく河合家と山本家の家名再興が認められた。
山本帯刀には子がいなかったため、藩士高野貞吉の六男が養子に入った。
後の山本五十六である。