「天才の証明 / 中田 敦彦」の感想・あらすじ
目次
点数
74点
感想
お笑いのネタを分析するなど、著者の頭の良さが感じられる内容だった。
ただし、ありきたりのことも多く、大きな収穫はなかった。
「競艇は転覆すると払い戻しになるため主催者は大損害。転覆を繰り返した選手だけがコーナでのギリギリのスピードを知っているためチャンピオンになる」とあるが、間違っていると思う。
払い戻しはされないはず。
主な内容
漫才の型
ラッスンゴレライは、漫才のトレンドを取り入れた高度なネタである。
漫才には様々な型があるが、ラッスンゴレライはミスと修正を繰り返す「やり直し(修正)型」である。
NON STYLEや笑い飯は同じ型の漫才であり。
武勇伝は一言ネタを羅列する「大喜利羅列型」である。
時代・環境・価値観
世代間の認識の差は個人的な考え方の差ではなく、その時代に受けた教育や無意識に構築された「こうあるべき姿」に大きく影響されている。
たとえば、現在60代の男性が家事をしないのが当たり前に思っているのは、そうなった環境や時代背景があるからである。
人は生まれ育った環境から影響を受けている部分がとても大きい。
異なる世代の価値観をぶつけ合い、社会が今どちらの方向に進んでいて、どちらがこれからのメインストリームなのかを考えていく必要がある。
大事なのは、今ある価値観はたくさんあるの中の1つでしかなく、正統か異端かも時代によって変わり、価値観は更新されるものであるということ。
たとえば、ビジュアル系バンドは派手な衣装やメイクでかっこいいと言われた時代もあったが、今はダサいと言われてしまう。
お笑い界の価値観
今のお笑いに対する評価軸として漫才、コント、大喜利が重視されている。
オリエンタルラジオはこれらが不得意なので、才能がないと言われてしまう。
だが、それは今のお笑い界の価値観の中では才能がないだけである。
何が優れた才能かどうかを定義づけるのも、その時代の価値基準でしかない。
古いルールや体制、価値観に縛られてもがき苦しんでいる人たちに、その才能を遺憾なく発揮してほしい、それがこの本を書いた目的であり、証明したいことである。
メッシが天才といわれる理由
メッシが天才といわれるのは、サッカーという競技が存在したから、サッカーがメッシの身体能力にフィットしたからである。
1つのグループや企業にいて、そこがどうしても自分に合わないと感じている人は環境を変えるか、自分が従うルールを変えるべき。
ある場所では無能と呼ばれる人間が、ある場所では天才と呼ばれることがあり、その逆もある。
適材適所
人は今の環境に合わせないといけないと頑張ってしまう。
A社で出世した人がB社で出世できるとは限らない。
その人は「A社で出世する能力」がずば抜けていた可能性が高いから。
何事も適材適所である。
血液型が4種類ある理由
血液型が4種類あるのは、血液に由来する感染症が広がったときのリスクヘッジのためだと思う。
A型だけがかかる病だった場合、Aが絶滅してもB, O, ABは生き残ることができる。
女子力男子と大人力
女子カルチャーを好む若い男性が増えている状況をさして「女子力男子」との言葉が出てきた。
年配の世代からは「男たるものが軟弱化している」などと否定的に見られているが、著者は30代以下の男性観が成熟してきたと好意的にとらえている。
おいしいレストランを知っていて、センスのいい差し入れができるのは、性別関係なく「大人力」である。
才能が集まるところにエネルギーがある
立川談志師匠がかつて「すごい才能がどこにいるかでジャンルのエネルギーが決まる。今は漫才やコントなどのお笑いにみんな行く。もう落語には来ねぇな。才能が集まるところにエネルギーがあり、エネルギーがあるところに才能は集まる。それが世の常だ」とおっしゃっていた。
今、才能はテレビではなくYouTubeに集まっている。