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「石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか / 中島 岳志」の感想・あらすじ

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感想

作家として華々しくデビューするも戦後の虚脱感を感じていて、作家として影響を与えることの限界を感じ政界に進出した、という流れだった。

難しい題材であり、抽象的な表現も多いため、自分にとっては難しい内容であった。

石原さんは若い頃から難しいことを述べていて、本当に教養があり頭の良い人だったのだと思う。

主な内容

  • 石原は「戦争中は幼年期から少年期だった世代」である戦後派であり、戦中派には嫌悪感を持っていた。
  • 石原は「太陽の季節」により自由で健康に生きる若者の代表的存在となったが、本人はインテリであり弟の裕次郎のようにはなれないという自意識を持っていた。
  • 1956年頃は社会党左派を支持し、憲法9条改正に反対していた。
  • 日章丸事件を扱った小説「挑戦」が酷評されたことで、逆に国家や民族といったナショナリズムを意識するようになった。
  • 戦争中のベトナムに訪問したことで、国が滅びるということを真剣に考えた。
  • 肝炎で2ヶ月入院したことで肉体の衰えや死について考え、政治家になる思いを強めた。
  • 1968年の参院選に自民党から出馬し、史上最多の301万票で当選。
  • 1970年に青嵐会を立ち上げ自民党右派の一員となり、田中角栄政治を批判する。
  • その後の政治家としての際立った実績はなく、1975年に都知事選に出馬するも落選、翌年に衆院選で国政に復帰する。
  • 1989年、ソニー会長の盛田昭夫との共著「NOと言える日本」がベストセラーとなる。
  • 石原は「日本の半導体がなければ世界の軍事産業は成り立たない。あとは政治家が外交カードとして巧みに使うことができるかどうかの問題だ」と述べている。

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