「3時間半で国際的常識人になれるゆげ塾の速修戦後史 欧米編 / ゆげ塾」の感想・あらすじ(その2)
目次
戦後のアメリカ大統領
トルーマン
フランクリン=ローズヴェルトが病死し、副大統領から昇格。
その後、1948年の選挙でも勝利した。
トルーマンは対ソ連強硬路線を取った。
日本への原爆投下はソ連に対する威嚇でもあった。
トルーマン=ドクトリン、マーシャルプラン、NATO結成など、共産勢力の封じ込め政策も展開した。
アイゼンハウアー
1953年に就任。1929年のフーバー以来、久々の共和党出身大統領であった。
アイゼンハウアー政権は、緊張緩和と再緊張の2期8年であった。
朝鮮戦争を休戦させ、1955年にはジュネーヴ四巨頭会談で雪どけを迎えた。1957年にソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功。
人工衛星の技術は核ミサイルの打上げ技術と同じであるため、アメリカは核の脅威に怯えることとなった。
1959年にフルシチョフと会談、しかしその裏では偵察機U2を飛ばしてソ連の軍事力を調べていた。
1960年、ソ連はU2を撃ち落としアメリカのスパイ行為を非難、緊張は高まりキューバ危機へと向かってしまう。
退官演説では、軍産複合体を非難した。
ケネディ
ニクソンとの選挙に勝ち、1961年に就任。
アポロ計画、キューバ危機、公民権運動、などに尽力するも1963年に暗殺された。
アポロ計画
ケネディはNASAを作りアポロ計画を進めた。
その背景には、1961年にソ連のガガーリンが有人宇宙飛行に成功したことへの対抗があった。
地球を1週し予定通り中央アジアに着地した、ということはミサイルを狙った場所に落とす技術があることを示している。
キューバ危機
新アメリカだったバチスタ政権を倒したキューバ革命政府は、アメリカの侵攻を恐れソ連に支援を要請した。
ソ連はキューバにミサイル基地を設置、米ソ開戦の危機となった。
核戦争が現実となると感じた米ソは大きく歩み寄り、ソ連はキューバのミサイル基地を撤去、アメリカはトルコのミサイル基地を撤去、さらにホワイトハウスとクレムリンの間にホットライン(文字通信)を開通させた。
ケネディ暗殺
いろいろな説がある。
調査報告書は「国内外へ大きな影響を及ぼすため」2039年まで非開示となっている。
- 差別主義者による暗殺
ケネディは黒人解放に理解があった。
暗殺されたのは黒人差別の強いテキサス州ダラスであった。 - カトリックだったので暗殺された
カトリックの大統領はいまだにケネディだけである。
カトリック信者にとって教皇の言うことは絶対であり、大統領が教皇の下にいることを危惧した者たちが暗殺したという説。 - 軍産複合体による暗殺
ケネディは軍産複合体と真っ向から衝突していた。
キューバ危機では、キュー爆爆を却下している。
ジョンソン
ケネディ暗殺により副大統領から昇格。
ケネディ以上に黒人開放に尽力し、公民権法を制定させた。
ケネディ暗殺により副大統領から昇格。
ケネディ以上に黒人開放に尽力し、公民権法を制定させた。
1965年にディエンビエンフーで敗北したフランスに代わって、ヴェトナムに軍隊を派遣。ヴェトナム戦争を始めた。
しかし、反戦運動が盛り上がり、1968年の選挙で敗れた。
ニクソン
ケネディとの大統領選挙で敗れてから8年後の1968年の選挙に勝利し、1969年に就任。
ブレトン=ウッズ体制
第2次世界大戦の原因は、各国がお札を刷りまくった結果だ、という共通認識があった。
輸出有利を求め、各国が自国通貨を安くしようとしたのである。
その結果、交換レートが乱高下して貿易が縮小、最終的には戦争に至った。
そのため、大戦後はドルを世界通貨として使おうと考えられた。
アメリカは高い工業力を持っていたため、ドル札を持っていればアメリカの質の高い製品が買える。
また、アメリカ政府はドル札をゴールドの交換を認めた。当時のアメリカのゴールド保有量は世界の70%にまで及んでいた。
このアメリカの高い工業力と高い金準備高を背景につくられた国際経済体制がブレトン=ウッズ体制(ドルを基軸通貨とした金本位による固定相場制)である。
当時はゴールドとドルと円の交換比率は、1オンス(約30グラム)=35ドル=12600円と決まっていた。
なお、各国がお札を刷りまくってゴールドと交換することのないように、IMF(国際通貨基金)が見張っていた。ただし、アメリカだけはお札を刷りまくっていた。
ニクソン=ショック
1971年、ニクソン大統領は突然にゴールドとドルの交換を停止すると発表した。
これがニクソン=ショック(ドル=ショック)である。
ニクソン=ショックの直前、各国は「大量のドル札が出回っているが、アメリカはドルと交換できるゴールドを保有しているのか?今のうちに、ドルをゴールドに換えておこう」と考えた。
ドルの流通量が増えた理由は、ヴェトナム戦争に必要な物資の調達や、繊維などの大量輸入を行うために、本当はいけないのだがアメリカがドル札を大量に印刷したからである。
相次ぐゴールドとドルの交換要請に対し、ニクソンは金ドル交換停止を発表。
これにより、金本位体制が終わり、固定相場制が終わった。
各国が貯め込んでいたドルの価値は暴落し、各国はアメリカに抗議した。
しかし、ニクソンは「アメリカは世界秩序のために莫大な軍事費を支出している。ドル下落はその費用の一部を負担したと考えてほしい」と言い放った。
ニクソン=ショック以降、世界経済は不安定化した。為替相場が変動するため、生産計画を立てづらくなるからである。
ヴェトナム戦争のヴェトナム化
反戦運動やニクソン=ショックにより、アメリカはヴェトナムに兵を送り続けることができなくなった。
ニクソンは中国に「資本主義のサイゴン政府にへの支援をやめるから、中国も共産主義のハノイ政府への支援をやめてほしい。ヴェトナム戦争はヴェトナム人だけでやらせませんか?」とお願いした。
1972年にはニクソンが訪中し毛沢東にお願いし、1973年にヴェトナム和平協定が結ばれアメリカ兵はベトナムから撤退した。
ウォーターゲート事件
1972年の大統領選挙にて、ニクソンの指示によりウォーターゲートビルに盗聴器を仕掛けた5人の男が逮捕された。
ニクソンはもみ消そうとしたが、ワシントンポストは果敢に戦い続け、最終的にはニクソンが辞任した。
アメリカの歴史上で、辞任した大統領はニクソンだけである。
フォード
ニクソンの辞任により、1974年に副大統領だったフォードが大統領に昇格。
フォードは何もしていない。自動車王のフォードに知名度は負けている。
現職として挑んだ大統領選挙はカーターに敗北した。
アメリカの歴史上で、大統領選挙で勝利したことがないのはフォードだけである。
カーター
1977年に就任。
もともと牧師だったカーターはとにかく優しい。
南アフリカなどの人権抑圧国家に対して援助を打ち切り、CIAを縮小し、外国要人暗殺を禁じた。
1978年、イスラエルとエジプトの代表を呼び出して会談を開き、平和条約の前提となるキャンプ=デーヴィッド合意を取りつけた。
米中国交正常化はカーター政権時に行われた。
1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し東西の緊張が再び高まると、同じ年にイラン革命により親米国家だったイランが極端な反米国家になってしまう。
レーガン
1981年に就任。
発射されたICBMを人工衛星からビームで撃ち落とす「スターウォーズ計画」に着手した。
レーガン政権期、石油価格の高騰により低燃費である日本車が大量に売れたことで、アメリカの貿易赤字が膨らんだ。
さらに国防予算の増加も重なり、多額の借金を背負ったアメリカ政府は国債に高い金利をつけた。
すると、ドル高円安となり日本の輸出がさらに伸び、さらに赤字は膨らんだ。
それでもアメリカは、日本の共産化を防ぐために、日本に儲けさせた方がいいと考えていた。
プラザ合意
ソ連でゴルバチョフが書記長に就任し冷戦が終わると、アメリカはもう日本に儲けさせる必要がなくなった。
1985年9月、アメリカはニューヨークのプラザホテルにG5の大蔵大臣と中央銀行総裁を呼びつけ「円安ドル高だからアメリカ車は売れない。円高ドル安にするために、みんなで一斉に円を買ってドルを売れ」とお願いした。
これがプラザ合意である。
日本銀行は、国内で日本車が売れるようにするために金利を下げた。
金利が下がれば預金しなくなり、車を買う人が増えると考えたのだが、大失敗であった。
資金調達コストの低下が土地や株への投機を拡大させてしまったのである。
転売目的で土地を購入する企業が続出し、土地の値段はどんどん上がっていった。
日本のバブル経済はプラザ合意から始まったのである。
ジョージ・H・W・ブッシュ
1989年に就任。
マルタでゴルバチョフと会談し、正式に冷戦が終結した。
湾岸戦争では、アメリカを中心とした多国籍軍として、クウェートに侵攻したイラクと戦った。
クリントン
1993年に就任。
冷戦が終わり、GPSやインターネットなどの軍事技術が民間利用されたことで、アメリカは後継期を迎えた。
元々は、GPSはミサイルの誘導技術、インターネットは中枢がやられても各端末同士で通信することができる軍事情報システムである。
1997年、クリントンは温室効果ガス削減の京都議定書に調印したが、上院の反対で批准されなかった。
なお、調印は仮約束を結ぶこと、批准は仮約束を議会が承認することである。
日本は衆議院の多数派が首相を選ぶので、調印=批准である。
しかし、アメリカは議会選挙と大統領選挙は別物であり、大統領と議会の多数派が違う政党であることもよくあるため、調印≠批准である。
ジョージ・W・ブッシュ
2001年に就任。
9月11日に同時多発テロが発生し、首謀者であるビン=ラディンをかくまったアフガニスタンのタリバン政権を攻撃した。
また、イラクが大量破壊兵器を保有しているとしてイラク戦争を開始した。
オバマ
2009年に就任した、史上初のアフリカ系アメリカ人大統領。
プラハ演説では、歴代大統領が訴えていた核の抑止力を否定し、核廃絶を訴えた。後にノーベル平和賞を受賞した。
現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れた。
公的医療保険制度、通称オバマケアを導入した。
トランプ
性差別や民族差別発言を繰り返したが、大統領選挙に勝利し2017年に就任。