点数
77点
感想
面白かったが、長すぎるのでもう少し短くしてほしかった。
素晴らしい投手だったのは間違いない。
ただし、本人も語っているように、良い成績のまま怪我をしてしまったためインパクトが強すぎるのであり、もしそのまま続けていたら成績は下がっていったのかもしれない。
日本シリーズでの交代劇
1997年の日本シリーズ、3勝1敗のヤクルト王手で迎えた第5戦、3点リードの8回表から登板した伊藤は9回表に野村監督から高津への交代を告げられた。
「この瞬間、頭にきましたね。最後は自分が締めくくるものだと思っていましたから。1年間、リリーフ投手として大事な場面を任されてきたのに、日本一がかかった最後の最後で交代ですからね」
降板直後、伊藤は一塁側ベンチ裏で暴れた。
ベンチ内に聞こえるように、野村に対する不満を口にした。
戦況を見守っている野村にもその声は聞こえていたはずだ。「僕は野村監督には感謝していますけど、今でもあの交代劇だけは納得できないですね」
血圧0
最初に異変を感じたのは1998年6月頃のことだった。
試合の途中でボールをリリースする際に、指先の感覚がまったくないのだ。
「99年の夏頃には誰が触っても、”えっ、冷たいね”って言われるぐらい右腕が冷たくなっていました。血液が通っていないんです。それでも投げられるから試合には出る、でも、それが積み重なってくると、今度は腕も上げられない状態になりました」さらにこの頃、伊藤は愕然とする出来事に見舞われる。
右腕の血圧を測ろうと思い、いくら試してもても血圧計は0のままなのだ。
医者の診断を仰ぐまでもなく、血行障害であることは明らかだった。
軸足にメスを入れてしまった影響
「右肩の血行障害手術の際に、右太ももの血管を移植しました。どうして右足だったのか、今でもその理由はわからないですけど、結果的にこの判断は失敗でした。軸足にメスを入れてしまったことで、投球の際にどうしても違和感が残ったんです。手術によって軸足の筋肉を傷つけてしまったのかもしれない。後から考えれば、それは大きな失敗でした」
松谷秀幸
現役晩年の伊藤とともにリハビリに励んでいた松谷秀幸は、2006年に引退しヤクルト本社で勤務していたが2008年1月に競輪学校に入学、翌2009年に競輪選手としてデビューした。