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「世界の宗教が面白いほどわかる本 / 池上 彰」の感想・あらすじ(その1)

点数

83点

感想

ためになった。
宗教について無知だったので、ほとんどのことが知らないことだった。

聖地

ユダヤ教:嘆きの壁

エルサレムはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教、の聖地です。
なぜこんなことになっているのでしょうか。
話は旧約聖書にさかのぼります。
旧約聖書には、ユダヤ人の先祖であるアブラハムが神に信仰心を試される話が出てきます。
神はアブラハムに息子のイサクを犠牲にするように命じます。
アブラハムが丘の上の岩にイサクを横たわらせ、刃物で殺そうとすると「お前の神への信仰はわかったから、殺さなくともよい」」という声が聞こえます。
アブラハムは息子の代わりに羊を捧げ、丘を下りました。
ユダヤ教ではこの岩を「聖なる岩」とし、岩のある場所に神殿を建てました。
この神殿は起原70年にローマ帝国に壊され、現在では神殿の西側の壁のみが残っています。
これが「嘆きの壁」で、ユダヤ教徒たちが熱心にお祈りする場所となったのです。

イスラム教:岩のドーム

イスラム教徒にとっても「聖なる岩」は信仰の対象です。
天使に連れられてメッカからエルサレムにやってきたムハンマドは、この「聖なる岩」の上に手をついて天に上がったとされています。
天に上がったムハンマドは、かつての預言者たち(アダム、アブラハム、モーセ、イエス)に会い、再びエルサレムへ降りてきてメッカに戻ったといいます。
この「聖なる岩」はその後、イスラム教徒によって丸い屋根で覆われ、さらにその屋根に金箔が張り巡らされて「岩のドーム」と呼ばれるようになりました。

キリスト教:聖墳墓教会

エルサレムはキリスト教徒にとっても、イエス・キリストが十字架にかけられた場所として聖なる地です。
ベツレヘムで生まれたイエスはパレスチナの各地で布教活動を続け、その後エルサレムに入ってから捕らえられてしまいます。
捕らえられたイエスが十字架にかけられた「ゴルゴタの丘」に建設されたのが「聖墳墓教会」です。
イエス・キリストの聖なる墓があった場所に建てられた教会、という意味です。

エルサレム

上述のように、3つの宗教の聖地が集中しているのがエルサレムの旧市街。
約1キロ四方の城壁に囲まれた地域です。
東京ディズニーランドと同程度の広さです。
ここに、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、イスラム教の聖地「岩のドーム」、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」があるのです。

3つの宗教は同じ神様

・キリスト教
ユダヤ教を背景として生まれたものですから、神は同じ神を指しています。
ユダヤ教の経典(宗教の教えが書かれた本)である「聖書」は、キリスト教では「旧約聖書」となります。
キリスト教では「旧約聖書」「新約聖書」の両方を聖書として認めていますが、ユダヤ教は「新約聖書」を聖書として認めてはいません。

・イスラム教
コーランには「イスラム教徒のみならず、ユダヤ教徒もキリスト教徒も神を信じていれば天国へ行ける」と書かれています。
さらに「アッラーは我々の神様でもされば、ユダヤ教とやキリスト教徒の神様でもある」と書かれています。
キリスト教の後になって生まれたイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の影響を強く受けていますし、コーランのほかに旧約聖書と新約聖書も認めています。

イスラム教

イスラム教とは

「イスラム」とは「神にすべてを委ねる」という意味です。
イスラム教徒は世界で約15億人、世界の総人口のおよそ1/4になります。
最もイスラム教徒が多い国はインドネシアで、その数は2億1600万人で人口の90%におよびます。
(観光地で有名なバリ島もインドネシアですが、他の島々から離れていたこともありヒンドゥー教が栄えています)

イスラム教は一神教

イスラム教は「この世をつくったのは唯一絶対の神である」という考えの「一神教:いっしんきょう」です。
この絶対唯一の神のことをアラビア語で「アッラー」と呼びます。(英語で言えば「the god」)
よく「アッラーの神」と言われることがありますが、間違いです。
「アッラー」自体が「唯一の神」という意味です。

預言者ムハンマドの生涯

ムハンマドは、神の言葉を預かった人間として「預言者」と呼ばれます。(注:予言者ではない)
570年、ムハンマドは現在のサウジアラビアにあるメッカに生まれました。
40歳のある日、洞窟にこもっていると天使ジブリールが現れ「誦め(よめ)」と命じたといます。
(「誦む」は「声に出して読む」という意味)
以降、ムハンマドは、ときおり啓示(神からくだされた言葉)を発するようになり、人々に受け入れられていきました。

スンニ派とシーア派

スンニ派:85%
シーア派:15%、イランの大多数はシーア派、イラク・バーレーンでも多数派。
ムハンマドの死後、ムハンマドの娘婿のアリーと、信者たちの信頼が篤かったアブー・バルクに派閥が分かれました。

アリーの血筋を引く者こそが後継者であると主張する「アリーの党派」は「シーア」と呼ばれるようになります。

アラビア語で「党派」は「シーア」です。
「シーア派」はそのまま日本語にすると「党派・派」となってしまうのですが、ニュースなどではこう呼ばれています。

一方、血筋に関係なく、ムハンマドの言行を参考にすべきだという人たちは「スンニ派」と呼ばれるようになります。
アラビア語で「言行」は「スンナ」です。

新疆ウイグル自治区

ニュースでよく取り上げられていた中国の「新疆ウイグル自治区」のウイグル族は、トルコ系民族でありイスラム教徒です。
「新疆(しんきょう)」とは「新しい土地」という意味で、清の時代にその一部となりました。
この地域でしばしば暴動が起こるのは、漢民族に対するウイグル族の反乱のためです。
アラビア語の看板が漢字に書き換えられたりもしています。

コーラン

ムハンマドが神から預かったとされる言葉を、アラビア語で記録した本をコーランといいます。
コーランは全部で114章から成り立っています。
ムハンマドが亡くなった後、信者たちが記憶していた言葉をそのまま本にもとめたものです。
断片的な文章が並び、ユダヤ教の「聖書(旧約聖書)」やキリスト教の「新約聖書」のような物語形式にはなっていません。
「コーラン」とは「声に出して読むべきもの」という意味です。
黙読ではなく、声に出して読み上げるのが正しい読み方なのですね。

中東問題

中東問題とは一言でいえば、「パレスチナという土地をめぐる、アラブ人とユダヤ人の戦い」です。

ユダヤ人は紀元70年にローマ帝国によって王国が滅ぼされ、その後ヨーロッパ各地に離散し、迫害の憂き目にあってきました。中世ヨーロッパで、ユダヤ人は「イエスを十字架にかけた」といわれてキリスト教徒に差別。迫害されました。
第2次世界大戦中にはナチス・ドイツにより約600万人ものユダヤ人が殺されました。

そして、国連によって建国されたイスラエル(ユダヤ人)と、そこに住んでいたアラブ人(パレスチナ難民)の間での争いが続いているのです。

六信五行

イスラム教徒は天国へ行くために、6つのことを信じ、5つのことを守らなければならないと決められています。
これを「六信五行(ろくしんごぎょう)」といいます。

・六信
アッラー、天使、啓典、預言者、来世、天命
・五行
信仰告白:「アッラーの他に神はなし、ムハンマドは神の使徒なり」と唱えること
礼拝:1日5回聖地メッカの方角へ向かって祈る、夜明け前、正午過ぎ、日没前(正午と日没の間)、日没直後、寝る前
断食:イスラム暦の第9月(ラマダン月)に行う、日の出から日没までの間、飲食・喫煙は禁止
喜捨(寄付):収入の2.5%程度を身の回りの貧しい者や団体に寄付する
巡礼:一生に一度は聖地メッカへ巡礼することが望ましいとされる

やってはいけないこと

5行とは逆にやってはいけないこともいくつかあります。
コーランには「豚肉を食べてはいけない」「お酒は飲んでいけない」と書かれています。
なぜ豚肉がだめなのかは、ムハンマドの時代にアラビア半島で豚の病気が流行したためと推測されています。
仏教では仏像にお祈りし、キリスト教ではイエス像にお祈りしますが、イスラム教では神様の像、つまり偶像を拝んではいけません。
神様は偉大な存在。人間が勝手に神様の姿を形にすることはできないのです。

2001年1月、インドネシアで味の素の製造過程に豚の内蔵から取り出された酵素が使われていたということがわかり、問題となりました。
製品自体に入っていたわけではないのですが、イスラム教徒にとっては大きな驚きだったのでしょうね。

アラブの春

2011年1月チュニジア:ベンアリ大統領(独裁23年):ベンジャミン革命によりベンアリがサウジアラビアへ亡命
以降、周辺国へ飛び火。
2011年10月:リビア:カダフィ大佐(独裁40年以上):NATO軍が介入しカダフィを殺害
2013年7月エジプト:ムバラク大統領(独裁30年):軍部がムバラク政権を崩壊させた
現在:シリア:アサド政権と反政府軍の内線

土葬

イスラム教では「最後の審判」の日に、死んだ者は全員が生き返り、神の審判を受けることになっています。
その際、復活する人間には体が必要なので、死んだ人間を火葬ではなく土葬にします。

イスラム原理主義

1970年代、中東では経済発展が進み、スカーフをかぶらない女性や礼拝を怠る人が増えました。
それが、堕落したと受け取られ「イスラムの理想に返れ」という考え方や運動が広まりました。
これがイスラム原理主義です。

キリスト教

キリスト教とは

キリスト教とは「イエスの教えを信じる宗教」です。
「キリスト」とはギリシャ語で「救世主」という意味です。

イエスはユダヤ教徒

イエスはユダヤ教徒でありながらユダヤ教を批判し、改革運動を進めていきます。
ユダヤ教では、ユダヤ人こそが神に選ばれた民であり、神に救われる唯一の民族であると説いています。
ですが、イエスは神を信じる者は誰でも救われると説きました。
その結果、紀元30年頃に磔にされ処刑されてしまいます。

新約聖書

イエスはユダヤ教徒であり、弟子たちへ教えを伝えるときもユダヤ教の聖書である「旧約聖書」の内容を引用していました。
イエスの教えは、弟子たちによって新約聖書としてまとめられ、世界中に広まっていきます。

キリスト教の分裂

イエスの死後、弟子たちは布教活動を続け、392年にはローマ帝国の国教となります。
395年にローマ帝国が東西に分裂すると、キリスト教も東西で少しずつ違いが出てきます。
そして、1054年に西は「カトリック教会」東は「東方正教会」に東西分裂します。
さらにカトリック教会は、16世紀にプロテスタントと分裂します。
「カトリック」は「普遍的」という意味です。
「プロテスタント」は「抗議」という意味です。
力を強めたカトリック教会内部では、本来の教えからの逸脱が目立つようになったため「本当のキリスト教の教えとかけ離れている」と教会の腐敗を批判したのがプロテスタントです。
一方スイスでは神学者カルヴァンが、カトリックではそれまで卑しいとされていた蓄財(=お金を貯めること)を認めるというカルヴァン派を広めます。
イギリスでもカルヴァン派は受け入れられ、カルヴァン派プロテスタントとなります。
彼らは「ピューリタン(清教徒)」と呼ばれました。
1534年、イギリスで「イギリス国教会」という独自の宗派が成立します。
歴代の国王はほかの宗派を弾圧したため、多くのピューリタンがアメリカへ渡ったのです。
ピューリタンは大きく分ければプロテスタントですから、「アメリカはプロテスタントによって建てられた国」ということになります。
その後アメリカにはカトリック信者もやってきましたが、先に住み始めたプロテスタントから差別を受けました。
現在では差別も少なくなっているとはいえ、アメリカがプロテスタント中心の国であることに変わりはありません。

アメリカ大統領とキリスト教

アメリカという国は「神様」、つまり「キリスト教」を信じていることを前提にして成り立っている国家です。
ですから、イスラム教徒や仏教徒、ユダヤ教徒などが大統領の地位に就くことはあり得ないのです。
アメリカには「WAPS:White Anglo-Saxon Protestant」という言葉があります。
アングロ・サクソンとは、5世紀半ば以降、ドイツ西北部からイギリスに渡ったゲルマン民族の一部で、イギリス国民の元となった民族です。
アメリカを建国したピューリタンの子孫がWAPSの人々であり、アメリカ社会で強い力を保持してきました。
WAPSでなければアメリカの大統領にはなれない、とさえいわれてきたのです。
これを覆したのが第35代大統領ジョン・F・ケネディで、彼はアングロ・サクソン系ではなくアイルランド系でした。
しかも、プロテスタントではなくカトリックでした。大統領選挙出馬時は大騒ぎとなりました。

アメリカ大統領選挙の出馬条件

・35歳以上のアメリカ国民
・アメリカ国内の生まれ
・14年以上アメリカに居住
シュワルツェネッガーはオーストリア生まれなので、州知事にはなれても大統領にはなれません。
オバマ大統領は父はケニア生まれですが、自信はハワイ生まれです。

ローマ法王

ローマ法王は、イエス・キリストの一番弟子だったペテロの後継者という位置付けであり、 「世界のカトリック信者の最高指導者」です。
ペテロはイエスが死んだ後、ローマへ布教に出て、ローマ帝国のキリスト教迫害により殺害されます。
彼の墓の上に建てられたのが、ローマの観光名所「サン・ピエトロ大聖堂」です。
サン・ピエトロとは聖ぺテロのことをさします。

コンクラーベ

2013年2月には前ローマ法王ベネディクト16世が退位し、フランシスコ法王が誕生しました。
ローマ法王はバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂での選挙(コンクラーベ)により選ばれます。
フランシスコ法王はブエノスアイレス生まれで、初の南米出身の法王になります。

キリスト教原理主義

聖書に書かれたことはすべてが真実であるという考え方です。
アメリカ南部はバイブルベルト(聖書地帯)呼ばれ、キリスト教原理主義者が多く住んでいるといわれています。
進化論は認めない、中絶反対、同性愛反対、などです。
アメリカがキリスト教国家であることから起こる問題といえます。

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