点数
82点
感想
西城秀樹さんの闘病生活が書かれていたが、本当に大変で気の毒になってしまう内容だった。
何度も脳梗塞になり、それでもステージ復帰を目指した秀樹さんはすごいと思うとともに、引退してゆっくり暮らした方が良かったのではとも思ってしまう。
タバコを1日に3,4箱吸ったり、水分を取らずにサウナに入ったり、などが体に悪かったのだと思う。
あらすじ
- 著者は建設会社に勤務していた。父と秀樹さんの姉が知り合いだったことから秀樹さんと結婚した。結婚式は下田の白浜神社。
- 秀樹さんはどこへ行くにもポーチを持参していたが、それはインスリン注射であった。糖尿病を隠していた。
- 2003年6月、秀樹さんはディナーショー出演のために訪れた韓国済州島のホテルで1時間ほどサウナに入った。日頃から体を絞るために水分補給を制限しており、サウナには共有のコップしかなかったこともあり、水分を取らなかった。部屋に戻ると体がだるくなり、翌朝にはろれつが回っていないようで慶應病院の先生に電話したところ「脳梗塞の疑いがある」と言われた。近くの病院には専門医が不在だったため、応急措置としてアスピリンという血液凝固を防ぐ成分が含まれているバファリンを飲み、ディナーショーは凌いだ。
- 帰国後の検査結果は脳梗塞でありマスコミからも発表されたが、実は2001年にも脳梗塞になっていた。その時は、1週間入院して点滴をしたら治り、仕事への影響を考えてマスコミには2次性多血症と発表した。
- 2003年7月2日、10日間で退院するとリハビリに励み、1週間後には舞台の稽古が始まり、8月14日から1ヶ月半の新宿コマ劇場の公演に出演した。
- その後、定期的に検査を受け、2005年5月,10月、2010年10月に脳梗塞が発見されたが、早期の発見だったので数日入院しての点滴で治った。
- 2011年12月、風邪っぽく帰宅途中によろけてしまったので検査をしたところ大きな脳梗塞が見つかった。歩くこともできなくなったため仕事を全てキャンセルし、マスコミには2回目の脳梗塞として発表された。
- 年末に退院するもしゃべりにくさと右半身麻痺が残ってしまった。その後、リハビリ病院に入院し、3週間後には手すりがあれば自力で歩けるまでに回復した。1月28日にはチャリティーコンサートに出演した。
- 2012年7月の検査で脳梗塞が見つかり、数日入院して点滴で散らした。8月にはサンパウロでのコンサートに出演した。
- 2013年1月、8回目の脳梗塞が見つかり、入院点滴で治療した。
- 9月には目が回るというので検査をしたが異常はなかった。1人で歩くことがままならなくなった秀樹さんは、この頃から外出しなくなってしまった。
- 2014年12月、多系統萎縮症という脳の神経細胞が徐々に脱落してしまう疾患と診断され、1週間入院して点滴治療を受けた。原因不明で治療法も確立されておらず、難病指定になっていて患者は10万人に18人しかいない。
- 2015年4月、還暦記念イベントがあり、フィナーレで野口五郎さんがサプライズで登場した。
- 秀樹さんは済州島でのトラウマから水を1日4リットルも飲むようになってしまっていた。2017年夏、ベッドで安静にしていられなくなり、起きては転びを繰り返した。病院では低ナトリウム症と診断された。これは水の飲み過ぎで血中ナトリウムが低下した状態であり、頭痛や嘔吐、意識障害を引き起こすこともある。
- 2018年4月25日、入谷のジムでのリハビリから帰ってきた秀樹さんは、夕食後にテーブルでくつろいでいると両腕をテーブルについて固まり痙攣を起こした。心肺停止状態で救急車で運ばれ、20分後には心臓が動いたが医師は「意識が戻る可能性はありません。心臓が動くのはあと4日」と宣告した。40分ほど心臓が止まっていたことによる低酸素血症で脳死となった。
- 血圧を保てず昇圧剤を使っていたが、医師から「徐々に昇圧剤を減らします」と言われ5月10日にゼロになった。15日に「腎不全を起こしている」と告げられ、16日23時53分に息を引き取った。