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「3時間半で国際的常識人になれるゆげ塾の速修戦後史 欧米編 / ゆげ塾」の感想・あらすじ(その1)

点数

90点

感想

読みやすく、とても勉強になった。
同じ事象が複数の国の視点から出てくるので、理解しやすかった。
戦後アルバニア史は驚きの内容だった。

国際関係史

右翼と左翼

フランス革命の議場に由来する。

第2次世界大戦はいかに分類される。

右派・左派は相対的なもの。
資本主義と社会主義が王を倒して革命を起こす段階では、右派=王。
その後、資本主義と社会主義のどっちだという段階では、右派=資本主義。

第2戦線形成問題

第1戦線で莫大な被害を受けていたソ連は米英に救援を要請した。
しかし、日本と戦っていたアメリカとは違い、イギリスは理由もなく救援をしなかった。
イギリスは戦後の共産主義陣営との対立を見越して、ソ連の体力を削っておこうと考えていた。

度重なるソ連からの救援要請に対し、ようやく米英が応えたのがノルマンディー上陸作戦。
それも、無理をせずゆっくりと進撃し、少し損害が出るとすぐに進撃を止めた。
一方、ソ連は2000万人もの死者を出しながらベルリンを落とし、大戦を終わらせた。

なぜ東欧諸国は共産主義陣営に入ったのか?

  1. ソ連が東欧諸国をナチス=ドイツから解放したから
    ヒトラーは東欧のスラブ系住民に対しても虐殺を行っていた。
  2. ソ連が東欧諸国の地主から解放したから
    小作人は地主から搾取され、貧しい生活を送っていた。
    ソ連は贅沢をしている地主を殺して土地の共有化を進めた。

なぜアメリカは共産化のドミノを食い止めたかったのか

共産化が進んでいけば、アメリカが海外に持っている工場や畑は取り上げられ、最終的に共産化のドミノはアメリカ本土に倒れてくる。
共産主義がアメリカにまで及べば、ロシアや東欧、中国のように資本家は殺戮の対象になってしまう。

アメリカは様々な手段を使って共産主義の拡大を封じ込めた。
その始まりがトルーマン=ドクトリンであり、ドミノの最前線にあるギリシアとトルコに米軍基地を置いた。
ギリシアとトルコでは、搾取により贅沢な暮らしをしていた地主が、米軍に共産勢力から守ってもらおうと考えたのである。

マーシャルプラン

トルーマン=ドクトリンには米軍基地の設置・軍事援助だけでなく、経済援助もあった。
貧困層を底上げすれば共産化を防止できるからである。

全ヨーロッパに行った経済援助が、アメリカの国務長官マーシャルが発表したマーシャルプランである。
ヨーロッパにお金と物資を配ることで、建前は復興支援、本音は共産化防止、を図った。

コミンフォルム

マーシャルプランは資本主義国家だけでなく、東欧諸国も対象となっていた。
これに対しソ連はコミンフォルムという各国共産党への命令・伝達組織を結成した。
コミンフォルムを通して、マーシャルプランの受け入れ拒否を指示した。

各国の反応

共産党が与党だったポーランドやハンガリーでは指示とおりマーシャルプランを受け入れなかったが、野党だったイタリアやフランスは受け入れた。

ユーゴスラヴィア

ユーゴスラヴィアだけは例外で、共産党が与党にも関わらずマーシャルプランを受け入れた。
なぜなら、ユーゴスラヴィアはカリスマのティトーを中心にソ連の助けを借りずにナチス=ドイツを追い出したから。
また、社会主義でありながら、西側諸国とも仲良くしたいという独自の方針を持っていたから。

チェコ=スロバキア

チェコ=スロバキアはマーシャルプランを受け入るかどうかで議会が紛糾、共産党がプラハを占拠し、一気に共産化した。これをチェコ革命という。
チェコは東欧では珍しい工業国であり、西欧諸国のように議会制度も整っていた。そんなチェコで革命が起きた、またチェコは高性能の武器を生産できる国であることから、脅威を感じ西欧諸国は軍事同盟であるNATOを結成した。

ベルリン封鎖

アメリカがドイツ西部地区で行った通貨改革の対抗措置として、1948年にソ連は西ベルリンを封鎖した。

アメリカは西側ドイツの都市ボンで、旧マルクではなく新マルクの発行を開始した。
同時に、新マルクと旧マルクの両替を進めた。
新マルクがあれば、アメリカが供給するパンや肉を安く買えるようにしたのである。
選挙による統一ドイツの建国を目指していたスターリンがこれに激怒し、西ベルリンを封鎖した。

西ベルリンへの陸路は封鎖され、電気もガスも止まった。
これに対し、資本主義陣営は通貨改革をやめるどころか、食糧や燃料などを空輸することで対抗した。
24時間フル稼働で、約1分ごとに飛行機が離着陸した。
結局、あきらめたスターリンは封鎖を解除した。

ソ連は選挙になれば貧乏人の方が多いから社会主義国家になる、と考えていた。
アメリカは選挙準備が進む前に占領地区だけで国家を作ってしまおう、と考え通貨改革を行った。

通貨改革がなぜ建国準備になるのか

税金や罰金、公務員の給料、年金、公共事業の事業者への支払い、は全て通貨で行われる。

最初の新マルクはアメリカ製缶詰の引換券だが、流通していくと引換券ではなくお札の感覚になる。
新マルクを発行したボンは次の段階に入ると
「新マルクで税を払ってください」
「新マルクで罰金を払ってください」
「この新マルクがあなた方公務員の給料です」
「公共事業の代金はこの新マルクです」
と人やモノを動かすことができるようになる。
つまり、ボンは首都となり、新マルクは西ドイツという国家の法定通貨となるのである。

国名に「民主」が付く方が共産主義陣営

資本家ではなく、民が主(あるじ)であるから。

コメコン(経済相互援助会議)

社会主義陣営が作った分配システムがコメコンである。
ソ連版のマーシャルプランのようなもので、ソ連が原油・天然ガスなどのエネルギーを東欧諸国に提供した。
コミンフォルムを結成したものの経済的余裕がなかったソ連が、
戦後4年が経ったことで復旧し、共産主義陣営に援助できるようになったのである。

雪どけ

1953年にスターリンが死亡すると、東西の緊張は急激に和らいでいった。

ワルシャワ条約機構

1955年、ソ連はNATOに対抗し、東側陣営最大の軍事同盟であるワルシャワ条約機構を結成した。
結成の一番の理由は、西ドイツのNATO加盟である。
資本主義陣営は、工業国チェコが共産主義陣営に組み込まれたことに脅威を感じてNATOを結成した。
同様に、工業国西ドイツの再軍備に脅威を感じた共産主義陣営は、ワルシャワ条約機構を結成した。

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