鎌倉殿と13人の合議制
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本郷 和人 河出書房新社 2022年01月27日頃
目次
点数
73点
感想
とても面白いというわけではないが、そこそこ面白かった。
ただし「それを知ってどうなる?」「何の役に立つ?」といった内容が多いので、本当に歴史が好きな人向けの書籍だと思う。
序章: 鎌倉幕府とは何か
- 頼朝は関東独自の流儀で自立するのではなく、都を模倣して都との関係を維持していった。
- しかし、それは武士たちの反発を生み、結局「リーダーは北条さんがやればいい」となり源氏将軍は三代で滅びた。
第1章: 「13人の合議制」とは何かを考えるために
- 平家には3つの階層があった。
- 堂上平家: 中央貴族としての平家。
- 軍事貴族: 関東に流れてきた平家。成功すると西に移り住むようになる。
- 在地平家: 軍事貴族に置いて行かれた連中。
- 頼朝は2であり鎌倉幕府に集まったのは3だった。
- 関東は南関東4カ国とそれ以外で格差があった。
- 頼朝は武官だけでなく文官も必要であることをわかっていた。
- 頼朝には3〜4人の乳母がいた。
第2章: 頼朝以前
- 頼朝の父義朝は鎌倉に領地を持つ山内首藤、三浦半島の三浦、房総半島の上総広常と親交を深めた。
- 頼朝は実は父が築いておいてくれた勢力圏があったから、関東武士たちを従えた鎌倉幕府をつくることができた。
第3章: 鎌倉幕府の成立
- 南関東4カ国は、相模国では三浦、武蔵国では川越、後に畠山、上野では藤原姓足利、下野は小山、常陸は北が佐竹、南が大掾、下総が千葉、上総が上総、というだいたいの秩序が出来上がっていて、それが後に守護という形で制度化され安定していった。
- 上総広常が殺された理由の一つには、上総における権力が相当強力だったということがある。
- また、広常を消すことで「朝廷は気にせずにやっていこう」という路線は許さない、ということを御家人たちに知らしめることになった。
第4章: 「13人の合議制」の真実
- 「曽我兄弟は工藤祐経を討った後に頼朝も討とうとした、黒幕は北条時政である」という説が昔からある。
- 合議制に参加する13人は北条陣営と反北条陣営に分かれていた。
- 反北条は梶原景時、比企能員、八田知家、足立遠元。
第5章: そして内乱へ
- 合議制に参加する13人を選んだのは北条時政だと思われる。
- 反北条の人も選ばれているが、これは北条がまだ比企能員ら4人を排除できるほどの権力を握っていなかったからである。
- 北条陣営は団結していたが、反北条陣営団結できていなかった。
- 梶原景時を弾劾するための文書には比企能員と足立遠元も署名している。
- 梶原景時はそれだけ人望がなく嫌われていた。