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「本能寺の変 431年目の真実 / 明智 憲三郎」の感想・あらすじ

点数

70点

感想

現在通説となっているものは、秀吉が作らせた軍記物が元になっているものが多い。そのため、「日記などの多くの資料から真実を解明しよう」という内容だが、ところどころに作者の推測が入っているのはいかがなものか。既存資料の日付や内容の矛盾を指摘しているだけの退屈な本、とも受け止められる。
結論としては、信長と光秀は本能寺で家康を殺そうとしていた。光秀がそれを利用して信長を殺したという推理。ありえない話ではないと思う。

蓋然性(がいぜんせい)とは

蓋然性(がいぜんせい)=確からしさの度合い。
たとえば、和歌山毒入りカレー事件で目撃証言がなくても有罪判決が下されたのは「蓋然性」である。様々な証拠から容疑者が砒素を投入した蓋然性が高い、と判断された。

光秀の謀反の動機

確実に動き出してしまった信長の天下統一の歯車をどこかで止めないと、いずれ一族が滅亡する。一族の弱体化が始まる前に、できるだけ早く止めねばならない。長曾我部征伐から始まり、遠国への移封が続き、そして最後は中国大陸へ。この流れを何としても止めねばならなかったのである。
これが光秀の謀反の動機である。

信長は本能寺で家康を殺そうとしていた?

もし信長が家康と全面戦争をしたら、家康を滅ぼしたとしても信長軍は多大な損害を受けたであろう。
最もよい方法は、家康とその重臣を一堂に集めて一挙に抹殺してから三河に攻め込むことだ。そして「家康が謀反を起こして自分を討とうとしたから返り討ちにした」という名分を立たせるために、わざわざ「警護手薄な本能寺」での事件を演出したのではないだろうか。信長の警護が万全な安土で家康が謀反を起こすわけがないのは誰しもがわかることだからである。

信長は家康を警戒していた?

おそらく信長は先を読んでいた。家康を討たねばならない差し迫った危険はなかったかもしれないが、天下統一したのち、唐入りに乗り出そうとしたときに謀反が起きる危険を感じていたのではなかろうか。
さらには自分が死んで子の代になったときに危険な人物がいれば、自分の生きている間に処分するのが戦国武将としての自分の責任と考えたに違いない。その取り除かねばならない人物こそ徳川家康だと信長は判断したのだ。

春日局は斎藤利三の娘

光秀の片腕であった斎藤利三の娘・福は、後の春日局であり徳川家光の乳母である。

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